近鉄本社の経営悪化と1リーグを巡る球界の思惑

1989/10/5〜2004/1/23

1989年10月5日
近鉄バファローズオーナー佐伯勇氏肝不全のため逝去。86歳。
1989年11月8日
上山善紀氏オーナーに就任
1993年3月29日
読売新聞渡邉恒雄社長(当時、現読売新聞グループ会長、巨人軍オーナー)が、フリーエージェント制(FA)の導入をしなければ、新リーグ結成と宣言。
1993年7月13日
これに対抗してロッテ・重光オーナー代行がオーナー会議で「12球団による1リーグ制」を提案
1993年10月8日
FA制度、労組選手会と機構側が調印
1993年11月2日
フリーエージェント(FA)制度発効
1994年1月18日
オーナー懇談会でパ・リーグが1リーグ制移行を要望
1997年2月20日
大阪ドーム竣工
1999年4月1日
「近鉄バファローズ」は「大阪近鉄バファローズ」に改称。
2000年11月28日
近鉄バファローズに外資参入の噂が出るマードック氏が触手?近鉄身売りも
2001年3月13日
大阪近鉄が大リーグのロサンゼルス・ドジャースと業務提携を締結。
「株式会社am/pmジャパン」とスポンサー契約
2002年5月31日
バファローズ、オーナーを田代会長に交代
2002年6月28日
近鉄本社、経営再建計画を発表
1/連結で1兆7475億円に上る有利子負債を、2005年度までに3000億円削減
2/駅業務を分社化して、社員を現在の9100人から2005年には8500人体制
3/3期連続で赤字の企業については、会社の解散などの整理を行うとともに、沿線外企業などを中心に他社への経営譲渡や解散を行う。整理対象は20社程度。
2002年9月3日
株式の一部売却、アイフルなどと共同経営へ
2002年9月5日
近鉄が運営会社名から「近鉄」はずし球団株売却準備へ
2002年9月29日
藤井寺球場閉鎖へ、Bu二軍はりんくうタウン新球場へ移転か?
2002年10月5日
花園ラグビー場、東大阪市に支援要請
2002年11月4日
近鉄株価、300円を割るその後も下げ止まらず。
2002年11月22日
近鉄9月期連結赤字大幅増
2002年11月25日
近鉄本社・東京三菱キャッシュワンと提携
バファローズ、消費者金融アコムとスポンサー契約
2002年12月21日
中村紀洋内野手、近鉄 6年総額39億円FA残留
2002年12月27日
近畿日本ツーリストは、05年度までの経営改善計画を発表、正社員1000人削減
近鉄本社、50歳以上の従業員の人件費削減を実施
2003年1月1日
「株式会社大阪近鉄バファローズ」は「株式会社大阪バファローズ」に社名を変更
2003年3月14日
近鉄本社、山口新社長内定
2003年3月25日
近鉄本社、早期退職などに3223人
2003年4月10日
バファローズ二軍は花園ラグビー場隣接地へ移転か
2003年4月12日
銀座近鉄ビル、グッチに売却
2003年5月31日
OSK日本歌劇団への支援打ち切り
2003年7月5日
近鉄グループ・中堅ゼネコン大日本土木が民事再生法申請、負債2700億円
2003年9月10日
ダイエーが2004年オフにも球団売却を決める。読売・渡邉オーナーは「ハゲタカファンドへの売却は許さん」とし、1リーグ制移行も視野に入れると発言。
2003年11月4日
ダイエー・小久保選手が読売へ疑念の無償移籍
2003年12月9日
会見で山口昌紀近鉄本社社長が「保有メリットが薄らいできた」と話し、球団経営からの撤退の可能性を示唆
2004年1月6日
大阪ドーム広告からりそな銀行が撤退
2004年1月23日
あやめ池遊園地を6月閉鎖、近鉄興業は清算へ
【解説】
 今日、プロ野球球団はセントラルの一部の人気球団を除いて一概に経営環境は厳しいと言わざるを得ません。巨人戦の放送権料収入を見込めないパリーグではその事情はより深刻で、リーグ一の人気を誇るダイエーでさえ累積赤字約70億円を抱え本社からの広告宣伝費を得て、何とか運営しているのが実情です。
 営業地域が限定され本業への広告宣伝効果の薄い私鉄各社は相次いで球団経営から撤退してきました。80年代後半から関西私鉄大手の阪急・南海が球団経営から相次いで撤退するなか、近鉄が今日まで球団経営を継続してきたのは、日本一の私鉄としての本業での手堅い収益と近鉄球団とパリーグの発展に情熱を注いできた近鉄グループ総帥・故・佐伯勇オーナー(89年に逝去)の存在があったからこそでした。
 一方、93年読売・渡辺オーナーと西武・堤オーナーがダイエーとともに6球団で「新リーグ構想」を提唱したことが1リーグ構想の始まりでした。西武・堤オーナーにしてみればパリーグでの苦しい経営状況を打破するために巨人戦の放映権料と全国放送による人気の拡大を獲ることが目的でした。時を同じくして93年にFA制導入。1球団2人を上限に、大学生、社会人の逆指名を導入したのも93年。FA制も逆指名制も、「選手側の選択権を認める」建前でしたが、現実には巨人・渡辺オーナーを中心とする「新リーグ構想」の影を抜きには語れません。他球団、特に不人気なチームは、球界から排除される恐れから、明らかに巨人有利のルール変更にもかかわらず、さしたる抵抗もなく導入に至りました。94年にオーナー懇談会でパ・リーグが1リーグ制移行を要望した12球団の1リーグ制に渡辺オーナーが賛同するなど、この「1リーグ」という名の脅しはことある毎に渡辺オーナーの口から飛び出しました。
 93年のFA制導入を契機に90年代を通して選手年俸が急激に高騰する一方で景気の減退による広告や放送権料の減少がプロ野球球団の経営を更に悪化させました。近鉄本社はバブル期のホテルやレジャー施設など国内外の不動産投資に失敗、その後の長引く不景気でグループ全体の有利子負債は1兆7475億円にも膨らみ本社の経営を圧迫することになりました。一方、近鉄球団は入場者数の減少、年俸の高騰、年間6億円に上る大阪ドーム(97年に移転)の使用料などが経営を圧迫していました。近鉄球団は00年メディア王マードック氏による資本参加が報じられるなどリストラの進む近鉄本社の赤字負担の軽減の道を探ってきました。02年近鉄グループ経営再建計画が発表されグループ各社の厳しいリストラが断行される中で今まで「聖域」とされた球団の赤字に対しても今まで以上に厳しい目が向けられるようになりました。消費者金融大手・アイフルとの共同経営、アコムへの売却が報じられるなど近鉄球団の身売りの噂は絶えることはありませんでした。
 また、この中で外資参入や消費者金融とのスポンサー契約などに対し尽く否定的な見解を示してきたのは読売・渡辺オーナーでした。

最後の切り札・命名権売却構想の頓挫
2004/1/30-2004/2/27

2004年1月30日
オーナー会議を実施。この時は球団経営に関する議案はなし
2004年1月31日
(朝日・夕刊)バファローズ命名権の売却を検討していることを報じる。
午後6時 永井充球団社長が、会見で命名権を35億円程度で売り出すことを発表。
午後10時 読売・渡邉オーナーが反発。他球団も同調
2004年2月2日
永井球団社長球団名売却断念なら大阪ドーム撤退。不退転の決意。
2004年2月4日
近鉄劇場閉鎖
コミッショナー近鉄命名権売却の撤回求める。「売却却下」のコミッショナー裁定を示唆。
2004年2月5日
近鉄 命名権売却を撤回。永井社長は「球団の売却は全く考えていません」と断言。
2004年2月16日
バファローズ、永井社長が退任、後任は小林専務が昇格
2004年2月27日
近鉄・田代オーナーコミッショナーに謝罪。根来コミッショナーは「あくまで雑談ですよ。何もありません」
【解説】
 03年ダイエーの福岡事業売却問題が大詰めを迎えると、ドーム・ホテル・球団の3点セットでの外資への売却を求める銀行団に対し、巨人・渡辺オーナーは外資企業などによる投機目的での買収には、球団解散という強硬手段を用いてもでも阻止すると明言、球団削減と将来的な新リーグ構想までチラつかせてダイエーから主導権を奪ってしまいました。その後、オーナー会議で本社の球団支援、さらに野球機構の承認なしに球団を売却しないことを約束させるとともに、中内オーナー、高塚社長体制の維持を各球団に向けて確認、巨人・渡辺オーナーはこれを評価する形で現体制の堅持を承認しましたが、その直後ダイエーの主砲・小久保選手の前代未聞の巨人への無償トレードが行われ球界に大きな疑念を残しました。
 一方、山口近鉄本社社長が「保有メリットが薄らいできた」と話し、球団経営からの撤退の可能性を示唆するなど相変わらず近鉄球団には球団売却の噂は絶えませんでした。年が明け1月30日のオーナー会議では球団経営に関する議案はありませんでしたが、翌日、近鉄球団が命名権の売却を検討していると報じられました。これを受け永井球団社長が命名権を35億円で売り出すと発表、売却先には関西の大手飲料メーカーが有力と噂されました。これに対し巨人・渡辺オーナーは同日、外資や消費者金融の参入に繋がる命名権売却は野球協約違反と猛烈に批判し、断固阻止する姿勢を見せると、翌日西武・堤オーナーが近鉄を批判するコメントを発表するなど他球団もこれに追従する姿勢を見せました。その後、永井球団社長は、命名権売却が認められなければ球団の赤字解消の道は閉ざされるとして藤井寺への移転の可能性を示し命名権売却への不退転の決意を見せました。しかし、コミッショナーが現状では他球団の理解が得られないとし、近鉄が撤回に応じない場合は「売却却下」のコミッショナー裁定を下すと小林球団代表に伝え、事実上命名権売却の道が閉ざされると翌日命名権売却を白紙撤回、コストカッターとして球団の赤字解消の期待を背負った永井球団社長はこの責任をとって志半ばにして退任、小林専務が後任に昇格しました。



Copyright (C) 2004-2005 プロ野球・チーム存続を訴える会 All Rights Reserved.
(旧バファローズ・ブルーウェーブのチーム存続を訴える会)
個人情報に関する考え方